競馬で八百長があるのかないのか良く議論されていますが、八百長ではない事まで八百長だと言う意見まで出てくる様になっています。
競走馬は経済生物ですから、1レースを全力で走る事を目的に育成されているわけではありません。
競走馬を育てて賞金を獲得していく事を目的としているのが競走馬を所有している馬主さんです。
もちろん馬が好きだという事もあるでしょうが、ボランティアでやれる程競馬の世界は甘くありません。
ですから、どのレースの賞金を狙っていくか、そういった戦略があるのは当然の事なのです。
叩き台としてレースを使っているのであれば目標はその先のレースであり、出走出来る条件にあるのであれば故障してしまう可能性を少なからず秘めているレースで全力で走らせるという事はしないでしょう。
騎手にしても、本気で走らせて故障でもしてしまえば信用問題となってしまいます。
馬主から馬が回ってこなければ騎手は収入が減ってしまうわけですし、手堅く乗って次のレースでも騎乗させてもらい、優勝賞金を狙う方が良いのはわかりきった戦略です。
出走ラインギリギリだった強い馬がいたとして、それを阻止する為に馬主の多頭出しによって条件を満たす馬を登録したりといった事も事実あるでしょうが、それは条件を満たした所有馬がいてこそです。
馬に無理をさせる事、それで怪我をさせる様であれば避難の対象にはなるでしょう。
ですが規則を守っている以上は八百長ではないのではないか、そう考えます。
こういった事は八百長ではなく、そういった戦略、意図まで汲み取ってこその競馬なのではないかと考えていくべき事だと思います。
本当の八百長とは、出来レースの様な存在の事を言うのだと思います。
昔には存在したと言われている、選挙資金の為の出来レース、こういった事が八百長だと考えています。
今現在は八百長は難しいのではないかと思いますが、もしかして出来レースがあるのかも知れません。
しかし憶測だけで、ルールに則った行為まで八百長というのは言いがかりとしか言えないのではないかと思います。
「この馬の目標はおそらく次のG1で賞金も十分だから、このレースでは軸にするのはやめよう」
そういった事を考えながら予想をするのが楽しいのが競馬であり、競馬にしかない醍醐味なのではないかと思います。